【THE SUNS×HPD対談】2014.8.19


2012年10月23日に伝説のサーファー・シェイパードナルド・タカヤマ氏が亡くなってから
一年以上の月日が流れた現在でも、変わらないクオリティで素晴らしいサーフボードを提供し続ける
【Hawaiian Pro Design】通称HPD。


タカヤマ氏が築き上げてきたものはどう引き継がれたのか、そしてこれからどうなっていくのか。


THE SUNSがその一端に触れてみたいと思う。



THE SUNS×HPD対談 THE SUNS×HPD対談


まず訪れたのは、湘南鵠沼海岸にほど近いサーフショップ「TRIMOFF」。


THE SUNS×HPD対談
こちらのオーナーである宮内謙至氏(通称ショーロク氏)は、
ドナルド・タカヤマファミリーであり、
HPDのナショナルライダーとしてJPSAプロサーフィンツアー6年連続グランドチャンピオンという
未だ破られていない偉業を持つプロサーファーだ。


現在はHPDジャパンの代表として、日本のHPDのクオリティー維持を支えている。


そんなショーロク氏にHPDのこれまでの軌跡とこれからのビジョンにTHE SUNSが迫った。


THE SUNS×HPD対談


THE SUNS×HPD対談
(株)ペリグライド 宮内(ショーロク)謙至さん



「先へ先へ進むことを恐れない人でした」−HPDのこれまで−



―――THE SUNS(以下S):まずはHPDの歴史やドナルド・タカヤマさんのことをお聞かせいただけますでしょうか?


宮内謙至さん(以下M):まずタカヤマさんのシェイパーとしての人生は、12歳の時にハワイのワイキキでシェイプしたバルサボードがデイル・ベルジー氏の目に止まり、彼がカリフォルニアに呼び寄せたのがきっかけと聞いています。


―――S:12歳!そんなころからもうシェイプをしていたんですか?!


M:それ以前から一通りのシェイプはこなしていたようです。

タカヤマさんの昔の写真を見ると、野原みたいなところでシェイプしているシーンもありますね(笑)

当時はバルサを木の樹皮を削ぎ落とすような道具で削っていたそうです。

今現在流通しているフォームのボードをシェイプするのと、バルサをシェイプするのとは全く違い、かなりの技術が必要となります。

タカヤマさんはその技術を12歳で既に持っていたことで、ベルジー氏の目に留まったのだと思います。


―――S:タカヤマさんと言えばベルジー氏、ジェーコブス氏のもとでのシェイプを学んだという話が有名ですが、この2大ブランドはタカヤマさん自身のシェイピング理論に影響を与えたのでしょうか?


M:そうですね。
やはりその二つのブランドでタカヤマさんがシェイプしていたことは現在のHPDにとっても重要なポイントだったと思います。

この2大ブランドでのタカヤマさんの代表的なシェイプとして、ベルジーブランドでは王道PIGの原型ともいえるモデルを完成させ、ジェーコブスの頃にはライトウェイトのモデルを多く完成させています。

その後多くのブランドでシェイピングの腕を磨き、1967年頃-今から約47年前にハワイアンプロデザインが誕生しました。


―――S:現在日本ではHPDジャパンのメインシェイパーとして石黒さんがシェイプされていますが、そのきっかけというのはどういうものだったのでしょうか?


M:もともとタカヤマさんは自分のブランドを一緒に作っていくシェイパーを探していました。
そんな時、石黒さんのシェイプする姿を見て「いいじゃん」と即決したそうです。



―――S:それはどういったところが決め手だったんでしょう?


M:タカヤマさんは自分のモデルを忠実に作ってくれる人を求めていました。

もともとタカヤマさんは良質なボードを安定して供給することを大切にしていました。

早くにコンピューターシェイプを導入したのもそういう理由があったからだと聞いています。

当時のロングボードメーカーでは珍しい、ロッカーラインだけを作るシェイプマシーンも置いてあったくらいです。

そこでタカヤマさんが来日した際に、石黒さんのシェイプに対しての姿勢を見て

HPDのクオリティーを維持できる職人だと感じ石黒さんに決めたのだと思います。

職人同士にしかわからない独特な感覚で、シェイピングの腕や気質を感じたのでしょう。

だからこそ今USシェイプ、JPNシェイプの違いがわからないくらいのクオリティが維持出来ているのだと思います。


―――S:なるほど。やはりドラマがあったわけですね。
マシーンのお話が出ましたが当時そういったものは本当に珍しいですよね?



M:タカヤマさんは基本をしっかり大事にする人でしたが、常に新しい事にチャレンジをする人でもありました。

遊びやEPS・サーフテックなど新素材にも積極的に挑戦していましたし、世に出ていない物を出すべく、常にベストを求めて先へ先へ進むことを恐れない人でした。

このようなタカヤマさんのサーフボード作りへの情熱がデータとして現在でも残り、タカヤマさんがいない今でもHPDは変わらずその意志を引き継いだボードを供給できています。

またタカヤマさんはずっと前からUSでシェイプをしているトミーさんやラミネーターのウェイン・ホシザキさんにHPDの権利は譲っていました。

先を見据えて準備をしていたんだと思います。

日本でも同じように自分や石黒さんがいてその準備はできていましたので、今現在ジャパンでも安定したボードを供給出来ています。


―――S:先ほどUSシェイプとJPNシェイプのお話がありましたが違いといえるものはどういったところでしょうか?


M:基本的には一緒です。

ただJPNシェイプは日本に合ったものを出したい、という考えがあって、センターに厚みを持たせたり、レールをやや落としたり、浮力が必要な波に合わせて意図的にコントロールしています。

他にもJBX(ロッカー形状)は日本独自のチューンだったり、『G-6』はKENJI-2のアレンジで日本のみのモデルです、どちらも石黒氏によるチューニングを行いモデル化した物になります。

USシェイプはタカヤマシェイプを忠実に再現したもの、カスタムオーダーで細かい調整をするならJPNといった感じでしょうか。


―――S:ほかにタカヤマさんのサーフボードに関してのエピソードがあれば教えてください。


M:そうですね、タカヤマさんのクラシックラインのボードはレール形状が50/50の物は無いんですよ。全て60/40の形状になっています。

私が疑問に思って聞いたところタカヤマさんは「KENJI!サーファーだったらライディングの最後はローラーコースターで決めたいだろ、だからレールは60/40なんだ!!」って言われたことを憶えています。

たしかに50/50のレール形状のボードではコースターの時に外れてしまう事が多いです。

改めてタカヤマさんはシェイパーの前にサーファーなのだと感じた出来事でした。


―――S:なるほど。まさにHPDブランドのこだわりの部分ということですね。


M:HPDの歴史の中で重要な時間だったと思います。



−ライダーとの関係性−


―――S:HPDにはたくさんのライダーがいますが、彼らとの関係はどういったものだったのでしょうか?


M:ラビット・ケカイ、バテンス・カラヒオカラニ、ジョーイ・キャベル、LJリチャード、リンダ・ベンソン、レラ・サン、マイク・ドイル、ナット・ヤング、デール・ドブソン、ケリー・スレーターの弟のスティーブン・スレーター、コリー・シューマッカー、キャシア・ミーダー、ミッチー・アブシャー、カイ・サラス、マイク・スティッダム、桝田琢冶、池田潤、ノア・シマブクロ、尾頭信弘、島尻佑子、新城譲などなど多くの名前が挙げられますね。

あと意外に知られていないのがパイプライナーになったジョイ・ブランですね!


彼ら全員がライダーというわけではないですが、タカヤマさんにとってはファミリーのような関係だったんですね。

彼らがほかの板に乗っていても関係なく、「これ乗ってみなー」なんて言ってサーフボードを渡すんです。

ボードをもらった彼らも、自分のスポンサーのボードに乗っているけどタカヤマさんにもらったボードも1本大事に持っている、特にハワイアンには多かったのではないでしょうか。

ボンガ・パーキンスもバックドアのチューブでDT-4に乗っている写真がありました(笑)。


CIMG3906


―――S:(笑)。あとやはり外せないのはジョエル・チューダーでしょうか?


M:ですね。タカヤマさんは彼と一緒にたくさんのモデルを開発しました。

当時スラスターが主流で、シングルフィンと言えばNR-2というモデルしかありませんでした。

そこに昔作ったPIGやMODEL-Tを復元したのもジョエルとのコンビがあってのものです。

パフォーマンスボードでは今のDT-3の原型ともなったJTモデルや、Flo Egg等もこの時期に作られています。

ジョエルとのボード開発はHPDの歴史の中で重要な時間だったと思います。


「ケンジお前が引き継げ」−HPDジャパンの誕生−


―――S:先ほど石黒さんのことをお聞きしましたが、今度はショーロクさんがHPDライダーになった経緯を教えてください。


M:昔はショートボードをしていて、当時アルバイトしていたサーフショップが個人的な付き合いでHPDを取り扱っていました。

そこで初来日したジョエルの鵠沼でのライディングを観て、私自身衝撃が走りました。

それでショップのオーナーの私物のDT-2に乗ってロングボードを始めたんです。

そこからロングボードの世界にどっぷりはまって行きました。

その後アメリカに行く機会があって、HPDでロングボードを作ってもらいたいって思ったんです。

で、ショップのオーナーに連絡してもらってお金をもってHPDの工場に突撃訪問しました。
英語も喋れないのに(笑)



―――S:(笑)それがおいくつの時ですか?


M:18,9才くらいだったかなあ。

で、タカヤマさんにあったら「どれがいい?」っていうんですよ。

「これなんかいいんじゃない?」って。

ブルー×イエローのジグザグブラシ、TUDORカラーのダイヤモンドテールモデルでした。

でもよく見るとタカヤマさんのサインの横に”Forランス”って書いてあるんですよ。

そのボードは当時HPDのチームライダーだったランスがオーダーした板だったんです。

タカヤマさんが「あいつ連絡して随分たっても取りに来ないからいいんだ」って。タカヤマさんらしいですよね。

でその後、ランスと仲良くなる機会があって、

「そういえば俺のオーダーしたボード持っていった日本人っておまえだろ!」って(笑)


―――S:(笑)。でその後すぐHPDライダーになったんですか?


M:そのボードを手に帰国して直ぐの1993年にロングボード級別の大会に出ました。

そして、そのボードでいきなり優勝できたんです。

その年の東日本・全日本で優勝して世界戦出場権をもらいました。

世界選手権出場後1994年にプロに転向。

その年にブラジルで開催された世界選手権に乗るボードをタカヤマさんの工場に取りに行きました。

そうしたらタカヤマさんに「KENJI!お前はもうチームだから!」って一言いわれてサーフボードをもらったんです。

そのボードに貼ってあるオーダー用紙に「For team」って書いてあったんです。

最高に嬉しかったですね。


―――S:おおお、その頃からインターナショナルライダーだったわけですね。
で、その後1995年から6年連続JPSAでグランドチャンピオンを取り続けたんですよね。



M:そうですね、6年間チャンピオンだった時期は年間のほとんどをカルフォルニアでサーフィンをしていました。

その他にも世界中を回っていた時期でもありました。

大会があると日本に帰って、その賞金でまたカルフォルニアや世界各国に行く。

そんな生活を2000年までずっとしていました。


THE SUNS×HPD対談


―――S:ずっとですか!


M:当時は自分が1番サーフィンをしていると思っていました。

だから国内の相手に負けない自信もありました。

そのおかげで貯金は全くしてなかったですけどね(笑)


―――S:カルフォルニアでサーフィンをしていて、当時JPSAのチャンピオンだったショーロクさんでも日本と世界の違いを感じたりもしましたか?


M:ぜんぜん違いますね。

今の日本だと海外選手と戦うにはASPに出るしかないじゃないですか。

その当時、カルフォルニアは月1くらいで大会があって出ていましたが、一般参加もできて、トッププロ達と普通にヒートであたりましたし、1コケもざらでした。


―――S:そういった経験がチャンピオンであり続ける結果につながったんでしょうね。


その後もカルフォルニアに行くたびにタカヤマさんの所に顔を出してといった感じですか?

M:はい。

ある時1年くらい顔出せない時期があって、久しぶりにタカヤマさんの所に行ったんです。

したら「何してたんだよー!」って言われました。


―――S:(笑)


M:そうしたらブランクスが置いてあって「お前のモデルつくるつもりで準備してたんだぞ!」って。

それでできたのが『KENJI-2』です。

初めてタカヤマさんに1からハンドシェイプで作ってもらったボードです。


―――S:ショーロクさんがHPDジャパンを立ち上げる事はタカヤマさんからのオファーがあったのでしょうか?

M:タカヤマさんが亡くなる一ヶ月くらい前ですかね、「ケンジお前が引き継げ」って言われて、じゃあ話し合おうって事になって。

「いつ来れるんだ?」って聞かれたから、来月にはいくよって話したのが最後でした。

「HPDはタカヤマさんが作り上げたブランド」

−これからのHPD−


M:根幹にあるのはHPDはタカヤマさんが作り上げたブランドだって言うこと。

タカヤマさんが作ってきたものをいかに維持、継続していくかが重要です。

もちろんこれからいかに新しい物を想像していくかも課題になっていきますが、まずタカヤマさんのHPDの基本の考えを残していかないと、それはもはやHPDでは無くなりますので、そこはしっかり守って行きます。


THE SUNS×HPD対談


―――S:最後にこの対談を見ている方に一言お願いします。


M:色々な波に乗ってもらいたいですね。

同じ波に同じボードでずっとやっているのではなく、ショートの波にロングで入っても良いですし、さまざまな波質の様々な場所で色々なボードでサーフィンをしてもらいたいです。

そうするとサーフィンの視野も広がるし、サーフィンもうまくなる、いろんな目線でアレンジしていってほしいですね。


―――S:ショーロクさん、ありがとうございました。